信条そしてインタビュー記事

朝、「子供を起こしてくれ」と妻から頼まれた。

イヤなんだよねぇ。ケンカになるから。毎度のこと。声かけしても起きない。トントンと叩いたり、揺さぶったりしても起きない。だから、刺激はどんどん強く、声は大きくなる。当然起きているんですよ。脳は。ただ、起きたくない。だから抵抗する。無視する。そのうち、叩かれているのに我慢がならず、僕の手を振り払う。それでも起きなければ繰り返す。すると僕の腕に拳が飛んでくる。だから今度は脚にする。すると蹴りが飛んでくる。その蹴りが当たれば、こっちだって頭来るから、やり返す。「起こしている親に対して蹴りで報復するとは何事か!」とね。その時相手の蹴り力が10だとすると、報復する側は12ぐらいで返すよね。

ああ、こうやって戦争は起きるのだなと。A国はB国の為にしてやっているのに、それに答えようとしない。B国としてはA国のお節介に我慢がならない。余計なお世話だ、我が国に進入してくるな!と砲撃する。A国は、お前のためにしてやっているのに逆に砲撃するとは何事だ!と報復するね。まさに、戦争の縮図。

国家間の争いをなくすには、個人個人が各家庭間で仲良くできているか、家族が平和でいるにはお互いを思いやることが出来て、お節介をしない。深くプライベートに入り込まない。自主性に任す。(親は子に対してそれがなかなか出来ない)これが出来て家庭が穏やかな人ばかりならば、地域が平和で、その地域が集まれば国家も平和だから。

ああ、子供を蹴った僕の脚も痛いけど、蹴られた方はもっと痛いよね。そして何より、僕の心が痛い。だからこうして書いて慰めているのだけれど。

患者さんの慢性的な痛みって結構こういう心の痛みが生んでいることが多いって感じます。

子供が起きない理由を考えて対処しなきゃなんにも解決にならない。

○起きても楽しいことがないから起きない・・・学校とかね。行きたくないんだろう。患者さん達が「山登りに行くから週末は朝4時起き。でも楽しいことだから起きられるのよね~」と言うように楽しければ起きられるのだ。楽しくないから起きない。楽しくない会社なら転職すればいいけれど、田舎の公立校じゃ、他に選択肢無いし。学校をつまんなくしたのは大人だ。そしてギスギスしたあのイジメとかを生んだのも大人の世界の縮図だ。

アフリカや南アメリカの小学生が20~40㎞も離れた学校まで歩いてゆくドキュメンタリー映画を観た。途中、象やライオンやピューマなどの猛獣を避け、危険を乗り越え妹の手を引いて走って行く。父は子供達が出掛ける朝、無事に帰ってこられるようにお祈りを捧げる。そこまでして行く理由は何か。何しろ、学校が楽しいんだろう。知らない世界が拡がる。友も出来る。そして貧困から抜け出せる、やりたいことが出来る足がかりとなる夢を見ることが出来る。

今も「学校なんか行かなくて良い。そんな時間があるなら家の手伝いをしろ」という貧しい国は多い。日本もついこの前までそうだった。必要なのは未来を切り開き夢を与える、そして未来を豊にする教育ではなく、現実の今日の飯なのだ。義務教育は子供が学校に行く義務ではなく、親が子供を学校に通わせる義務なのだ。

○ルールに従えない・・・僕自身、中学は人生で一番辛かった。楽しくないし、勉強する理由も分からないし、部活で先輩に虐められて、でも、その頃は耐えるしかなかった。学校に行かないとか部活を辞めるなんて選択肢はなかった。それがルールだと思っていた。だから自分で起きて、毎日遅れずに行き、イジメにも耐え、ああ、暗黒の中2だったな。

でもね、それがルールだと思っていたから好きとか嫌いとか言えない、つまり人としてやらなきゃいけない、守らなくてはいけないことだと思っていたからだね。ある意味社会規範というか、校則なんかもそうで、おかしいと思っても戦ってでも改革しようとか、サボタージュするとかそんなコトしなかったしね。だから登校拒否なんてする子もいなかった。

部活での命令にも従うことが当たり前で、それが秩序で朝練があると言われれば楽しいとか楽しくないとかめんどくさいとか早起きは辛いとかそんなことは思ってもブーたれることなく、朝起きて学校に行き、勉強して暗くなるまでクタクタになるまで部活をやってが当たり前で、昔で言う女は30までに嫁に行くのが当たり前で、良い人がいないのなら見合いも断らずにそうして行くのが社会のルールだったように、そういうもんだという認識とそこに社会基準と秩序が形成されていたが、今は崩壊したんだな。

○起立性障害・・・これは病気なんだけれど、傾向としてやはり朝起きて楽しみがないからそうなる。鬱病に近い。夕方から元気になり、夜はTVを見て笑っていたりして、でも朝は不機嫌。

以前タオのプーさんというのがあったけれども、プーさんは朝起きてまず「今日は何をしようかな。何を食べようかな。何処に行こうかな。」とワクワクから始まると言うんだな。この心があれば起立性障害は克服出来る。早寝早起きをして朝日を浴びて幸せホルモンのセロトニンを脳に満たすことが最良なんだけれど、生活のリズムをかえるには心を変えなきゃ駄目だもの。「やらされている感」があったら駄目。自分で直したい、努力をしようと思わなければアルコール依存症と同じで周りが何をしても絶対変わらない。

こんな事を考えながら、痛い脚と心を抱えて散歩にでる。リフレッシュ出来るからね。

でも、公園の東屋周りはゴミが散乱している。馬鹿がワザと散らかす。めんどくさいからゴミを置いてゆくのじゃなくて、散らかす反社会的行為が楽しいんだ。ストレス発散なのか、病気だね。定期的に行われている。この前掃除したばっかりなのに・・・

ムカッと来たけれど、フ~、片付けるしかないか。掃除をして、だって散らかっているところには皆もっとゴミを捨ててゆくでしょ。どんどん汚くされるからね。誰もが誰か掃除をしてくれと思っているのだから、誰かが掃除をしなきゃね。片付けば気分良いし。でもね、思うよ。

この馬鹿どもは夜中にやってきて飲んで騒いで散らかすんだろう。だったらその現場を押さえて、木刀とか金属バットとか鉄パイプで向かうしかないかとね。そんなコトしたら行き過ぎだけれども、でも、泣き寝入り的なことは許せないし。

行政や警察に任せるって言うのも変な話で、道徳の問題だよね。政治だってなんとか学園の問題であんなに大騒ぎすることよりも、もっと福島をなんとかするとか、エネルギー問題とか、国の負債を無くすとか、国会が一日開かれるのにどれだけお金がかかり、その税金はどこから出ているのか考えて頂きたい。

そう思うと、怒りとむなしさが湧いてくるし、まあ朝から子供、地域、国家間と悩みは尽きない。

さて、親として、大人として、社会人として、納税者として、先生と呼ばれる立場で仕事をしている身として、振り回されず俯瞰して、地球的規模でどうしたらいいか考えて行動して行かなきゃならないなぁ。

治療だってね、その場しのぎの痛み取りだけじゃなく、本当に完治させて、患者さんが安心出来る未来を提供する。その為には口うるさいことも言うし、叱ることもある。親心のように。

ただね、患者さんはそれがうざったいと思えば、去れるからね。通院を辞めりゃいんだから。

心から親身になることと、広い視野で俯瞰して見守ること、この相反することが出来ることが東洋思想なんだなぁ。何しろ東洋思想の基本は陰陽。

人は誰も二面があり、どちらも本当でそれを認めつつ、長所を伸ばしていったら、いつの間にか短所は気が付かないくらい小さくなっていると言うこと。でも陰の中に陽があり、陽の中に陰があるのだから、絶対に白か黒か一色にはならないし、それは病的におかしいと知ること。

【東洋思想をもって和となす】が僕の信条だからね。

まあ、うちの子供に対して思うのは、それから患者さんにもそうなんだけれど、「純粋」で且つ「したたか」であって欲しいと思うわけです。

結局、自分がなりたい理想像がそうなんだと思う。

「純粋である」・・・人を疑わない。信じるチカラがある。ひとつのことに夢中になれる。頑固で妥協しない。一途。感情がストレート。

そして、自分が純粋と思っていない。つまり天然だね。純粋になりたいなんて僕が思うのは作為的で、つまり自分が不純であるという証明に他ならない。

それから「したたかさ」・・・したたかは漢字で書くと強か。つまり、強く屈しない。騙されない。(純粋は騙されやすい人という側面もあるから)流されない。どんな状況でも不敵に笑っていられる。

今は日本語が乱れて、本来の意味とは違う使い方がされていることが多くて、強か=狡猾・ずるい的に解釈している若者も多いかもしれない。

そうじゃなくて【純粋であり強かである】人は、どんなことにも屈しないし、良からず焦らず、自分の道を楽しんで歩むだけだからストレスもなく病気にもならないはずだ。

そういう家族、地域、国を作りたい。

あ、僕の記事がネットに記載されました。

下記からそこに飛べます。

http://www.compass-point.jp/interview/4199/

記者の方は、ネットで「拡散して貰うと嬉しいです」とおっしゃっていました。どうやってやるか僕は判らないんだけれども、ご覧くださった方々、宜しくお願いします。

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