いろは坂を登る
旅は非日常を味わう時間。
昨日、日光いろは坂を歩いて登って、歩いて下ってきました。
まだ暗いうちに家を出て、日光に向かうと夜明けの太陽と共に進行方向に虹が。
吉兆かな。
とても良い旅になりそうな予感。
馬返しの駐車場に車を止めて、7時前に出発。
ご覧のように、大谷川が夕べの台風で激しく増水。
第二が出来るまで、ここは対面通行でした。
いろは坂が出来る前は砂利の林道を登っていったようで
明治には外国人外交官を乗せた人力車が登ってゆく写真を見ました。
僕の好きなイギリス人女性のイザベラ・バードも明治11年にこの道を上っていった。
それ以前、江戸期は神聖な男体山神域に馬牛は入れてはならんと、ここで馬を下りて馬返し。江戸時代の人と同じように旅してみます。
道幅は2車線分あるので左側を歩きます。木の葉がビショビショで滑って怖い。
江戸期までは女人禁制。女性もここまで。
なので、女性はこの場所で男体山を拝む建物が、あったとのこと。それを模した赤い建物有り。
反対側から登ってゆくため、「ん」から始まる。
天狗も応援してくれている。
普段車で下りる道だから、こういうモノに気が付かない。
宇都宮までは台風一過で晴れていたのに、いろは坂からは雲が激しく流れていて太陽は見えず。雨もしとしと降っている。
合羽の上下を来ているから大丈夫。だけど、靴がランニング・シューズだ。甲の部分はスポンジ状だから雨がしみこんで、冷たいなぁ。上りだから身体はハーハー言って暑いけれど、脚だけ冷たい。
遠くに雲の切れ間から蒼い空が見えたりするけれども、ここは雨で、考えてみたら第一いろは坂には雨宿りするところはないのか。
中腹に明治天皇が行幸した際、休憩した場所に石碑が。
周りはこういう古木・巨木が沢山。嬉しくて触りまくる。
旧中の茶屋あと。ここで少し雨宿り。でもね~、ベンチ部分が長年の誇りや汚れが積もり積もって(誰も歩かないし、掃除もしないしね)汚いので座りたくないので、やっぱり歩く。
あとで下りて馬返しに戻った際、トイレの壁に書いてあったガイドには、この石灯籠のようなモノは磁石石と言って磁気を帯びている石なんだそうで、ああ、気づかなかった。通りを渡ってよ~く見れば良かった。と後悔。
「け」といっても逆からだと、「いろはにほへと」のどの辺りか判らない。
いろは坂は御存じの通り、こういうつづら折り。
道に沿っていくと結構歩く。それが無駄に思えてつい、ストレートに道無き山肌を登って行ってしまう、元山岳部員。
ね、5メートル上がるのに100メートル行って戻ってって面倒くさい。山道の方が車も来ないし。ただ、登るための道じゃないからね、とっても後悔するような場所もある。
いい子の皆さんはやっちゃ駄目よ。
壁に、白鳥神社なんてあるんだ。車じゃ、まったく気が付かない。
赤い腹掛けされているのはなんと、不動明王像。
車ですれ違うドライバーは、「人が歩いている!」とギョッとしているのだろうな。
途中、道路工事の部分があって、出勤してきた作業員のおじさん達は「頑張っているね」って声かけてくれた。「ええ、通勤なので」と答えておいた。
男体山がやっと見えてきた。
クマザサが多くなる。と言う事はかなり高所に来た証拠。
標高1300メートル級。と思ったら、いろは坂登り切ったみたい。
意外に早かった。前半戦、終了。
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